プロフィール

真弓 香(Mayumi Kaori)は、日本でただひとりアストロカートグラフィ公認解説者の資格をもつ、“タイミング(時)&スペース(自己の可能性を最大限に生かす場所)”を鑑定できるアストロロジャーです。

略歴

1985年に渡米、永住。現在、カリフォルニア州リッチモンド市在住。
Academy of Art University インテリアデザイン学士過程修了。
Persons School of Design 建築照明デザイン修士課程修了。
California Institute of Integral Studies博士課程(東西心理学専攻)中途退学。
建築照明デザイナーを経て、占星学の道に入る。
日本人として初めて、Astro*Carto*Graphy公認カウンセラーの資格を取得。
CITAアストロ・カウンセラー養成通信講座講師。
クレセント・カンパニー主宰。
NCGR (National Council for Geocosmic Research)米国占星学協会会員

真弓 香のサイトを訪れてくださり、ありがとうございます。
私は幸運にも、最も愛するアストロロジーを生業とさせていただいています。この仕事を通じて、みなさまのお役に立つことができれば、これ以上の幸せはありません。

初めてアストロカートグラフィを知ったのは、ニューヨークで建築照明デザイナーをしていた時期でした。
旅行が趣味だった私には衝撃的、とも言える出会いで「ぞっこん一目惚れ」という感じでした。

自分が良いと思ったものは他の人にも是非、という性分から、友人、会社の同僚など、ご縁がある方々には誰彼なしにプレゼントするようになりました。

そのうち、当然の成り行きともいえる現象が。彼らは一様に「解読もしてくださる?」と、手土産を持って訪ねてくるようになりました。
その頃は、英語の解説書だけで日本語のものはなく、また、解説書が読めるか否かとは関係なく、どなたも、私の見解を聞きたい、とおっしゃいました。
私自身も「一目惚れした恋人(アストロカートグラフィ)のことを、もっと、もっと、よく知りたい」と、アストロロジー(占星術)を学び始めており、趣味の延長ではありましたが、アストロカートグラフィのカウンセリング「もどき」をすることになっていきました。

それから暫くして、永住権が取得できたことを機に、冬の極寒、夏の猛暑が辛いニューヨークから大好きなサンフランシスコに戻ってきました(ここで美術大学を卒業し、在学中はデザインコンペで2度賞をいただきました。しかし、デザイナーとしての就労経験なし、ビザなし、と、なしなし新卒者には永住権のスポンサーとなってくれる就職先はなく、ニューヨークに移ったのは就職先が決まった、という理由からでした)。

あとから知ったことですが、アストロカートグラフィよると、私にとってのサンフランシスコ(カリフォルニア州)は、「芸術への理解や評価、花で溢れたハッピーエンドが起こる」ヴィーナスの場所でした。

また、夜間は大学院で学び、昼はデザイナーとして働いていたニューヨークは「仕事、教育に関するチャンスに恵まれる」マーキュリーの場所でした。
幸運にも、偶然選んだ2つの都市は、どちらも、私の可能性を最大限に引き出してくれるパワーゾーンだったのです。
カリフォルニアに引越してから一週間も経たないうちに、一通の葉書が届きました。この葉書こそが、私の運命を変えた!
のです。
その葉書には、「アストロロジャーの皆さんへ。アストロカートグラフィ・公認カウンセラー資格試験のためのセミナーです。是非、この機会にふるってご参加ください」と書かれていました。
どうやら、アストロカートグラフィ社は、頻繁にオーダーしていた私を、プロのアストロロジャーと間違えたらしいのです。
「そうよね、プロでなければ、こんなにオーダーする人も稀でしょうし。それに、プレゼントした方々にも、もっと正確に説明しなければ、、、」と妙な責任感と使命感が湧いてきて、数日後に行なわれるセミナーに参加することにしたのです(これも偶然なことに、セミナー会場は、引越し先から自転車でたった数分のところでした。まるで、近所の友人宅に遊びにでも行くかのような気持ちで、気軽に出掛けたことを憶えています)。

セミナー会場に着くと参加者はいずれも、この道、何十年、といった容貌のアストロロジャーばかり。「一体私はどうすればいいの、、、」と戸惑ったものの、お昼休みには、アストロカートグラフィの考案者ジム・ルイス先生に、「日本語の解説書がどうしても必要だと思います。どうぞ、私に翻訳させてください」と申し出ていたのです。知らないということは、何も恐れず行動できるとはいえ、思い出す度に冷や汗がでます。

翌年、ジム・ルイス先生は、脳腫瘍の病が因で、天国に召されました。結局、私が参加したセミナーが考案者自らが教える最後の講義となり、もし、カリフォリニアに引越してくるのがあと1週間遅かったとしたら、先生との出会いはなく、そして、私自身、アストロロジャーになっていなかったかもしれません。

先生が他界して数日後、Kaoriに、と宛てた、遺品が入った大きな包みを受け取りました。その中味は、70年代に初めてアストロカートグラフィが世に出たときのイラストレーションやマップなど、貴重な原画の数々でした。それらはまるで、「私の志をしっかりと継いでいって欲しい」と、語りかけてくるかのようでした。それを見たとたん涙がポロポロとこぼれ、そのとき、私は決心したのです、、、、と、このような経緯で、まるで、目に見えない大きな力に導かれるようにしてアストロロジャーになり、そして、クライエントの方々に支えられて、今日に至っています。
これからも、どうぞ、よろしくお願いします。

真弓香